【対談】日本企業はいかにして新市場のリーダーになれるのか ─ 旭化成・水素事業への挑戦 | MarketOne

EVENTS AND INTERVIEWS

【対談】日本企業はいかにして新市場のリーダーになれるのか ─ 旭化成・水素事業への挑戦

インサイト一覧

成長が鈍化した既存市場に対して新規事業を興すのではなく、急拡大が見込める市場を自ら創出し、新規市場のリーダーとなることは、多くの企業にとっての理想です。しかし、米国の企業が得意とするような市場創造や、欧州の企業の十八番である市場のルールを自国の企業に有利なように策定していくことには、日本企業は一般的に得意ではありません。

今回お話を伺ったのは、旭化成株式会社上席執行役員 兼グリーンソリューションプロジェクト長の竹中克氏です。旭化成グループでは市場創造に向けて何を、どんなステップで取り組んでいるのか、同社のグリーンソリューションプロジェクトの現場のリアルに迫ります。

変化の最前線で問い続けた、研究者から事業創出への道

大橋:はじめに、旭化成における竹中さんのこれまでのキャリアについてお聞かせください。

竹中:私は1986年に旭化成に入社後、アクリル繊維の技術開発に10年間従事しました。この期間に機会を得て3年間イギリスに留学し、博士号を取得しました。この経験が、私の研究者としての基盤となっています。

イギリスでの基礎研究と、実際に社会で使われる製品を生み出す開発とのあいだには、大きなギャップがある。そのことを身に染みて感じました。2002年に当社がアクリル繊維事業から撤退した際には、競争優位性をどう確立するか、市場の変化にどう適応するか。その視点がなければ、どんなに良い技術でも続かないのだと痛感しました。

旭化成株式会社上席執行役員 兼グリーンソリューションプロジェクト長 竹中克氏

竹中:その後は、電子部品のプリントコイルの技術開発と事業開発に13年間携わりました。ただ、この分野は想像以上に変化が激しかった。お客様のニーズに応える商品を提供している自負はありましたが、市場に破壊的なイノベーションが起きると、数年後の姿は簡単に変わってしまう。だからこそ、市場の先行きを読み、将来何が必要となるかを見越して製品開発をしなければならないのだと強く意識するきっかけになりました。

大橋:たとえ技術力が高くても、目の前のトレンドだけを追っていては厳しい、という現実を多く体験されてきたのですね。

竹中:そうですね。技術開発の次は、旭化成エレクトロニクス株式会社生産センターの延岡工場長を務めることになりました。従業員は約1,000人。はじめにしたのは、全員と面談し、顔と名前を覚えることでした。結果的にそれが一体感を生み、集団活動やコスト削減活動がスムーズに回り始めました。自分なりのマネジメントの基盤を確立した時期でしたね。

大橋:部下が40〜50人から1,000人に。大きなステップアップでしたね。

竹中:大きな工場では、品質はボトムラインで決まります。1,000個製品を作って1つでも不良が出れば、それが全体の評価になる。だから、いかに全員が同じ品質意識を持ち、ボトムラインを引き上げられるかが重要なのです。

8年間製造に携わり、2017年からは研究・開発本部に移って水素プロジェクトの立ち上げを任されました。当時の社長と研究・開発本部長がプロジェクトを立ち上げ、そこに私が呼ばれた形です。

事業性の先にある価値を問う プロジェクト誕生の舞台裏

大橋:長年培った技術を水電解に転用する水素プロジェクト。事業化に至った背景と、立ち上げ当初の課題についてお聞かせください。

マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌 大橋慶太

竹中:旭化成は、これまでも新規事業に積極的に挑戦してきました。2000年以降はM&Aを中心に規模を拡大しています。そうした流れの中で、2008年頃、当時の社長が中期的に旭化成の将来を見据えるためのプロジェクトを立ち上げたのです。

大橋:「中期的」とは、どれくらいの時間軸を指すのでしょうか。

竹中: 2010年頃に2030年を見据え、そこからバックキャスティングで考えました。その中でマテリアル領域において「水素」というキーワードが出てきました。

水素プロジェクトは、50年にわたり磨いてきた食塩電解のコア技術を、将来の地球環境保全に活かそうという発想から始まりました。ただし当初は事業性がまだ見えず、まずは3名という少人数で調査と研究を進めることになったのです。

大橋:転機となった出来事は何だったのでしょうか。

竹中:2013年に国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下、NEDO)の支援を受けて、電解システムやインフラが整い、研究開発が加速しました。大型セルによる実証実験を経て、2017年4月に正式なプロジェクトとして立ち上がり、私が初代プロジェクト長に就任しました。2015年のパリ協定も、水素が世界的に注目される大きな契機でしたね。

大橋:会社としても、先を見据えた事業に取り組まなくてはという空気があったのでしょうか。

竹中:旭化成はもともと、社会課題の解決を軸に事業ポートフォリオを改革拡張してきた会社です。その姿勢はDNAとして受け継がれていると感じますね。1990年代には地球環境に悪影響を与える研究はしないと決め、2000年頃からはCO2由来の原料を用いたポリカーボネートのライセンスビジネス製造にも着手しています。水素プロジェクトはそうした流れの延長線上にありました。

大橋:一方で、慎重な意見もあったのではないですか?

竹中:当然ありました。ROI(投資収益率)を考えれば、利益が見込めないのではないかという声は出てきます。ただ、旭化成のDNAとしての揺るがない土壌がありますから、敢えて全否定も全肯定もしない。ただ、上場企業として投資家に対してどう説明するか、非財務的価値をどう伝えるのか。そのバランスをとり続けることについては常に求められていました。

国の後押しが契機に。官民一体で市場を作る

大橋:理論としての技術研究と、事業としてスケールさせる技術開発とでは大きく異なるというお話がありました。NEDOの支援で研究設備が整った後、スケールアップの段階ではどのようなエピソードありましたか?

竹中:大きな転機は、2020年に政府が「2050年までにカーボンニュートラルを達成する」ということを宣言し、旭化成でも同様の目標を掲げたことです。国がリーダーシップを取ってくれたことは非常に大きかったですね。

象徴的なのが、福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)です。東日本震災で被災した福島県浪江町に水素の研究開発拠点を設置することを国が決断し、整備が進みました。2020年3月に現地で開所式をした際には、当時の安倍首相がトヨタ自動車のMIRAIを自ら運転して登場されました。このように、水素プロジェクトは官民一体となって進めてきたプロジェクトなのです。

竹中:福島水素エネルギー研究フィールドは、課題を一つひとつ解決しながらスケールアップしてきました。そのうちのひとつが、東京オリンピック・パラリンピックへの水素供給です。史上初のカーボンフリー聖火台と、選手村を走る水素車両に、水素を供給することになりました。時間の制約がある中で現場が一体となり、「福島から未来を変える」挑戦をやり遂げることができました。

大橋:利益が見えにくい段階から、旭化成1社ではなく複数企業で新たな市場を作っていく。不確実性を超える取り組みですね。

竹中:現在当社は、一般社団法人水素バリューチェーン推進協議会(JH2A)の理事を務めています。JH2Aでは企業の枠を超え、日本の将来をどう描くかという議論が行われています。皆に共通するのは、「企業間の枠を超え、次世代にどうバトンをつないでいくか」という視点です。

大橋:「製品」ではなく、「市場」を作る挑戦を官民で進めている点が印象的です。そのきっかけはどこにあったのでしょうか。

竹中:当社で言えば、2020年に政府が創設したグリーンイノベーション基金(GI基金)がきっかけです。当社の計画がGI基金に採択され、2021年から10年間、総事業費750億円規模のプロジェクトが始まりました。現在取り組んでいる事業費の約3分の2を国が支援してくれており、その分、期待の大きさも感じますね。

エネルギー自給率を高め、この国の将来をどう支えるか。このテーマに、官も民も本気で立ち向かっています。水素の仕事は、年齢も性別も世代も異なる人たちが立場を超えて「夢」を共有できる、非常にやりがいのある仕事ですね。

「全員で勝つ」日本企業の総力戦で新たな市場に挑む

大橋:日本市場での競争ではなく、中国勢や欧州勢に勝たなければ、国としての産業や未来は築けないと感じています。そうした中で、貴社が「総力で勝つ」という事業方針を選ばれた理由を教えてください。

竹中:これから水素社会を作るうえで、旭化成1社だけでは成り立ちません。再生可能エネルギーの供給、水素の製造、輸送、貯蔵、利用までを含めたエコシステムが必要です。環境問題がこのまま悪化すれば、結局は全員が敗者となります。きれい事に聞こえるかもしれませんが、全員で勝ちにいかなければならないのです。

大橋:一方で欧州や中国に主導権を握られると、「国のために」という視点では厳しくなりますね。

竹中:私は、日本の国益を守ることが重要だと思っています。日本は資源や再エネの立地には恵まれていませんが、唯一人財には恵まれています。戦後復興を支えたのは科学技術力であり、これからも科学技術立国であるべきだと考えています。

水素の技術自給率を高め、日本の技術を世界に広げ、カーボンニュートラルに貢献する。そのためには、性能やコスト、信頼性を磨き、選ばれる存在にならなければなりません。レジリエンスの高いプラントを世界中に安定的に提供していきたいですね。

水素はエネルギーインフラとして、最終的に安価であることが求められます。水素を安定して安く供給できるように故障なく稼働し、トラブル時にはすぐ対応できる体制が重要です。

大橋:日本はミドルの人材層がそれなりに厚く、インフラの信頼性と組み合わせることで勝ち筋が見えてきそうです。

竹中:細部にこだわる国民性とものづくり技術の蓄積は、日本の強みです。ただし、本当に重要なノウハウや無形資産をどう守り、優位性を保ち続けるかは、常に考える必要があります。

環境のよい地球を次世代へつなぐために

大橋:水素エネルギー市場の形成には、利便性やコスト削減、インフラ整備が欠かせません。それには国の協力も必要だと思いますが、すでに進んでいる取り組みはありますか?

竹中:水素の社会実装に向けては、まず需要を増やすことが重要です。水素自動車だけでなく、鉄鋼や化学、発電など、大量に水素を使う分野を広げていく。そのために、安価な水素供給を目指しています。ただ、現状では化石燃料のほうが安いため、その価格差は当面は政策で埋める必要があります。

竹中:昨年、水素社会推進法が成立し、3兆円規模で15年間の支援を受けられる仕組みが整いました。日本政府の本気度は世界的に見ても高い。需要が生まれれば民間投資が進み、スケールアップによってコストも下がる。好循環を作れると考えています。

こうした支援に加え、炭素税のような規制も含め、“アメとムチ”を適切に組み合わせながらあるべき未来に導いていく。そのロードマップの中で、我々は投資をしていきたいですね。

大橋:環境問題だけでなく、より強い動機づけも必要に感じます。

竹中:環境問題に取り組む国や企業が損をするようでは、持続しません。人類が環境保護に資する仕組みをどう作っていくかは大きな課題だと思います。子どもや孫の世代に良い地球環境を残そうという想いが報われる世界にしていきたいと考えています。

大橋:竹中さん自身、もしくは旭化成として、このプロジェクトを通じて後世に残したい景色とは何ですか?

竹中:旭化成は世界で初めてイオン交換膜法食塩電解プロセスを事業化し、50年かけて技術を磨いてきました。この技術を基盤に、再生可能エネルギーを活用してさまざまな化学品を生み出す会社に進化していきたいと考えています。当社では経済産業省のGXサプライチェーン構築支援事業を活用し、川崎製造所に2GWの電解セル工場の建設を決定しました。2029年に稼働予定です。若い世代がこの取り組みをさらに広げてくれることを期待しています。

もう1つ個人的なことですが、私には孫が二人います。子孫たち世代が大きくなったとき、今よりも豊かで、平和で、やさしい世界であってほしいと切に願っています。そのために、私の残りの人生を次世代の役に立つことに使いたいですね。

現在、公益社団法人日本化学会の副会長としてアカデミアの先生方とも議論する機会があるのですが、ケミストリーで社会に貢献したいという想いはみな同じです。水素社会の実現は民間企業だけではなし得ず、さらに言えば日本だけでもなし得ません。世界中に仲間を増やし、産官学が共通の目標を持って力強く進んでいきたいですね。

大橋:日本の未来について考えさせられるお話でした。ありがとうございました。

対談のまとめ

市場創造は「個社」だけでは実現が難しい。国家政策とのアライン、官民コンソーシアム(JH2A)、他社との提携などを通して進める水素活用の推進、市場創造という壮大な挑戦。儲かるかどうかという単独の事業としての観点だけではなく、日本としての総力戦を進め、“できるかどうか”ではなく“やらなければならない”大義の実現のために、実現へのハードルを愚直に超えて続けて行く強い意思を、本対談を通して感じました。「社会課題の解決」と「ビジネスとしての成立」という二兎を追い続ける旭化成と竹中氏の挑戦が、さらに実を結んでいくことを願わずにはいられません。(大橋慶太)

プロフィール

竹中 克 Ph.D.
旭化成株式会社 上席執行役員 兼 グリーンソリューションプロジェクト長

1986年旭化成工業(現旭化成)入社。アクリル繊維の技術開発に10年、電子部品の技術開発・事業開発に13年、電子部品の製造に8年携わった後、2017年に研究・開発本部に移り水素プロジェクトのリーダーを務めた。2021年から研究・開発本部長を務めた後、2024年からグリーンソリューションプロジェクト長として、水素の事業化を推進している。専門分野は高分子化学、電気化学。現在、公益社団法人日本化学会副会長・産学連携部門長。東京工業大学(現東京科学大学)工学部高分子工学科卒業、英国ブラッドフォード大学大学院化学工学専攻博士課程修了。

大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌

BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長。

Text : Tomoko Miyahara
Photo : Shinsuke Yasui
Edit : Tomoko Hatano