科学技術分野のAI活用で日本の製造業の競争力を高めたい ー オムロン サイニックエックスが描く日本の将来像 | MarketOne

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科学技術分野のAI活用で日本の製造業の競争力を高めたい ー オムロン サイニックエックスが描く日本の将来像

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製造業において競争力を強化し、イノベーションを生み出すためには、新たな技術の研究開発だけでなく、企業が保有する「技術」という無形資産を十分に活かす必要があります。しかし実際、R&Dの現場では生産が向上せず、かつ事業化を見据えた研究が十分に行われていないという課題があります。この状況を打破する鍵となるのが、AIエージェントの活用です。

東京大学在学中から画像認識AIの研究に取り組み、現在はオムロン サイニックエックス株式会社でリサーチバイスプレジデントを務め、さらに株式会社NexaScience代表取締役としてAIによる研究者の開発支援事業を展開する牛久 祥孝氏。日本の製造業の競争力を高める科学技術分野でのAI活用について伺いました。

「まるでメインディッシュの添え物」高く感じた世界の壁

大橋:牛久さんは2012年、さまざまな研究機関が画像認識技術を持ち寄りその精度を争う国際コンペティションに、東京大学チームとして参加されたそうですね。

牛久:当時、GoogleやMicrosoft、スタンフォード大学といった名だたるチームが参加する中、僕たちとしてはこれで世界一を獲れると自信を持って臨んだ大会だったんですが、結果は残念ながら2位。しかも、1位にものすごい大差をつけられました。

オムロン サイニックエックス リサーチバイスプレジデント および 株式会社NexaScience 代表取締役 牛久 祥孝氏

オムロン サイニックエックス リサーチバイスプレジデント および 株式会社NexaScience 代表取締役 牛久 祥孝氏

牛久:そのときの1位こそ、2024年にノーベル賞を受賞したジェフリー・ヒントン氏が開発し、その後のAIブームを巻き起こすこととなった深層学習(ディープラーニング)という技術だったんです。AI領域における大事件ともいえる技術で、2位の僕らはまるでメインディッシュの添え物についてくるパセリ。完全な引き立て役でしたね。

大橋:とはいえ、錚々たるAI開発チームと競われたとはすごい経験をお持ちです。その後、Microsoftでインターンを経験されていますよね。

牛久:当時、AI分野で独走していたのがMicrosoftだったんです。AI分野では、国際会議で論文を発表することがスタンダードになっているのですが、あの頃論文を多く出していたのは、1位がアメリカ、2位がドイツ、そして3位がMicrosoftでした。国ではなく、一企業が3位。まさに、Microsoft帝国ですよね。

この研究を自分の目で見てみたいと思っていたときに、ちょうどMicrosoftの方から「レドモンドの本社でインターンを募集しているぞ」と。さっそく履歴書を送って面接を受けたところ、無事審査に通ったんです。

日本のプレゼンス向上のために行き着いた「材料」

大橋:Microsoftでのインターンを経て、博士課程修了後はNTTに就職。その後再び大学に戻って研究室運営を支え、2018年頃にはオムロンサイニックエックスに入社されています。そこで研究テーマに選んだのは、AI for Scienceという研究開発のためのAIについてだと伺っています。なぜ、このテーマにたどり着いたのでしょう。

マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌 大橋 慶太

牛久:AI分野における日本のプレゼンスの弱さを課題に感じていたからです。AI分野で日本が強みを持てるとしたらどこかと考えたとき、浮かんだのが「材料」でした。ちょうどその頃、材料分野でAI技術を活用したいという方に出会って、コラボレーションすることになったんです。

大橋:日本の強みである材料分野において、AIで何ができるかを模索し始めたのですね。ちなみに研究者が研究テーマを選ぶ際、基準としているのはどんなことなのですか?

牛久:純粋に、好きかどうかだと思います。ただ、「好き」の理由は人それぞれですね。知的好奇心を満たしたい、研究成果を活用してもらえることにうれしさを感じる、事業化を目指したいなど多様です。僕は、国際的に見て「日本はこの分野に強みがある」と言われたかった。国際会議に参加しても、欧米圏の技術者たちがキラキラと輝く会場の片隅で日本人同士集まって、「じゃあ、ご飯行きますか……」と言い合うような状況が寂しかったんですよね。そして一方で、どこかで研究成果を事業化したい気持ちもありました。

大橋:なるほど。そうした背景があって、2024年にNexaScienceを起業。ここに至るまでに、国のプロジェクトにも参画されています。

牛久:そうですね。オムロン サイニックエックスの研究員は、外部の研究者と組んで国の研究開発プロジェクトに取り組んでいます。みんなで研究予算を取って、研究成果を出して。そのような形で研究員に予算獲得や研究の実績を積み上げてもらって、その後大学に戻るもよし、他の企業研究所に行くもよし、とにかく自身の研究者としてのキャリアにつなげてもらおうと。NexaScienceは、そのような国プロの一つでムーンショットと呼ばれる内閣府主導の大型の研究プログラムからスピンアウトして生まれた組織なんです。

「研究成果がビジネスにつながらない」をAIで解決

大橋:ここまで牛久さんのプロフィールをお聞きしてきましたが、実際にいまNexaScienceがどんな事業に取り組んでいるのか、ぜひ教えてください。

牛久:研究成果の知財化・事業化を助けるAI駆動型プラットフォームの提供をしています。背景として、近年ではイノベーションに対するハードルは上がっていく一方です。なぜなら、研究論文や特許は増え続けており、研究者や技術者はそれを読むだけで1日が終わってしまう。専門家でも急速に増える情報を追いきれません。

牛久:かつ、フォローアップできたところで、インパクトのある研究ができるかどうか。ここでいうインパクトとは、他の論文から引用された回数がどれくらいかで測るのですが、日本は2000年頃をピークに下がっている。

論文を書いても誰からも見向きされなくなってしまっているんです。論文を書いたら特許をとって知財化するわけですが、それが何らかの事業として使われたり、実際に収益を生んでロイヤリティが入ったりする割合が低い。6割ほどは何にも活用されず、ただ維持費用だけが計上されていきます。

大橋:研究者からすると、インパクトのある研究もできていなければ、研究開発をして知財化しても事業に結びついていない……。イノベーションのハードルが上がってしまっていることは、非常に由々しき事態ですよね。

牛久:一方、事業者側でも、自分の事業に活用したい技術がどの大学、企業にあるか見つけられないという課題があった。この状況を改善するには、研究者側、事業者側に足りていない部分をAIが補えばいいのではないかと考えました。

研究成果をどう知財化するか、事業に結びつけるか。そうしたアイデアをAIが提示できれば、事業化を見据えた研究開発ができます。事業者としても、研究者の間で今どんな技術がホットなのか、そこからどんな知財を抑えておくべきか、AIを活用してヒントを得られるんです。

大橋:大手製造メーカーになると、2万数千件もの特許を取得していると言いますが、それらを活かすことができれば、日本の製造業が再び脚光を浴びることになりそうですね。

研究者と事業者をつなぐAIが、研究の「その先」を照らす

大橋:研究者は知財化、事業化まで考えが及ばない。そもそもイノベーションセンターのトップの人も事業を作ったことがない。壁打ち相手が必要だけれども、相手になってくれそうな事業サイドの人たちは技術がわからない。こうした課題感に気づいたきっかけは何だったのでしょうか。

牛久:初めて国際会議に出たときに、壇上に上がったMicrosoftの研究者が、「この研究の成果は来年のMicrosoftのPowerPointに搭載されます」と発表したんです。そうしたら、その1年後、本当にその技術がプロダクトに反映されて、当たり前のように使われ始めた。すごいスピード感でした。それくらい強大な研究所があり、優秀な人がいて、予算もあって。

牛久:日本の研究所も研究は頑張っているのですが、その先がない。「この差はなんだ」と考えたとき、まず研究者自身が出口を考えられていない。そして、技術的なアドバンテージは何で、どうしたらビジネスとしてイノベーティブになるか、解像度高く考えられる人もいないことが原因なのではという仮説に至りました。

大橋:その話は研究開発に限ったことではなく、技術的なアドバンテージや出口を考えられない人が現場を主導するとどうなるかという事例があります。たとえば、あるメーカーが掃除機の軽さやPC画面の画素数を、人にはほぼ判別できないほどの次元で競ってしまう。技術者たちにとってそれは意味のあることなのですが、ビジネスの観点からすると問題はそこではない。どんな研究をしてもいいが、これを満たさなければビジネスにならないという基準を作るべきではないかと感じますね。

「研究者の楽園をつくる」挑戦のスタート地点に立ったばかり

大橋:オムロン サイニックエックス社に所属しながらNexaScienceを起業されましたが、牛久さんは現在地をどのように捉えていますか?

牛久:まだまだスタート地点です。ただ、この分野は今後一層取り組みを加速していくべきだと思っています。たとえばGoogleの子会社は2024年、たんぱく質の3次元構造を予測するAlphaFoldというAIを開発した業績からノーベル化学賞を受賞しました。このように、米中は研究開発を加速するAIへの投資を積極的に行っています。

日本でも文科省が予算を取って、2026年度から大学を中心に設備を整え、AIやロボットを駆使して研究開発を加速していこうとしていますが、米中の動きに対抗するためには僕たちもどんどん加速していかなければと考えています。

大橋:そうですね。日本はおそらく、AI単体では勝てない。ただ、自社の研究開発が持つ「無形資産×AI」という形で、自社に最適なカスタマイズをして使いこなせるようになれば、その会社ならではの価値が出せそうです。

牛久:僕の1番のモチベーションは、研究だけに没頭できる“専門家の楽園”を作ることなんです。たとえば企業研究所だと、知財を踏んでいないか研究者自ら調べなければいけない。研究ができたら、今度は特許の準備もしなくてはいけません。自分で特許文面を書くか、弁理士に書いてもらった原稿を確認する必要が出てきます。こんな風に、研究者にとっては楽しくない業務がたくさん降ってくるんです。

大橋:そうした仕事をAIが代替することで、研究者の楽園が実現できるといいですよね。クリエイティブで能力のある人たちには雑務をさせない。その人たちが研究に集中することによって生まれる価値は、何物にも代えがたいはずです。

牛久:日本は人口も減っていきますし、資源がたくさんあるわけでもない。国のスケールからして価値を創出しづらいと言えます。だからこそ、どれだけ付加価値をつけられるかが重要なんです。新たな事業の創出か、研究シードをつくることなのか、いずれにせよどれだけ武器を尖らせることができるかが、これからの分水嶺だと思っています。

大橋:日本の製造業にはベテランからの技術の継承といった課題がありますが、そこに対してAIを活用していくことで、未来は明るくなりそうですね。

牛久:研究者の楽園の隠れた性質として、専門家同士の間を取り持つ存在も楽園の黒子として重要な役割を担う思っています。よく聞くのが、職人的な専門家で、例えば他の人に真似できない高い品質で製造工程を回せるベテランに質問しても「背中を見て学べ」と言われたり、その人のマネジメントがうまくなかったりといったことがあると。そこにうまくAIやロボットの力を組み込めたらと思っています。AIなら根気強く試行錯誤させてくれるし、ベテランの言い方を若手にも伝わる言い方に通訳してくれる。専門性をつなぐ役割を果たしてくれると思っています。

AIを駆使し有効活用することで、製造業復活を図る

大橋:新規事業を立ち上げる際、「この技術を使ってどんなビジネスができるかわからない」「自社のどの技術をどう組み合わせれば実現できるかわからない」といったことがよく課題として上がります。

これまで利益につながっていなかった技術を有効活用できれば、日本企業はものすごく強い。たとえば、車をつくるために開発した技術が、もしかしたらロケットや潜水艦に使えるかもしれません。ただ、潜水艦をつくる専門家は車づくりの技術を知らないので、その仲立ちをAIにしてもらう。そうすれば、持てる資産を新たな事業展開に活用できます。日本企業にとって、今1番必要なことなのかもしれませんね

牛久:そうですね。蓄積した技術をどう使うか、AIと壁打ちするには、専門性が必要です。人間でなければ思いつかない接着点や分解の仕方が必ずある。その専門性を持つマーケットワンさんとご一緒できれば、より私たちの事業も展開しやすくなるのではないかと思っています。

牛久:僕は、必ずしも新しいことを発想するだけがイノベーションではないと考えています。たとえばノーベル賞を取る技術は、異なる分野の知識を融合したものである。かけ離れた知識同士をいかに融合できるかが非常に重要なのです。距離が離れているからこそ融合は難しいのですが、だからこそ、うまくいったときの価値が大きいのではないでしょうか。

大橋:遠くて弱い関係のもの同士が融合するほど、生み出す価値が高い。これまで職人たちが培ってきた製造技術や知識を、AIやコンピューターで融合させていくことで、新たな出会いが起き、そこからものすごく大きな価値が生み出されるのではないかと思っています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

対談のまとめ

 

プロフィール

牛久 祥孝
オムロン サイニックエックス株式会社 リサーチバイスプレジデント
2014年3月東京大学情報理工学系研究科博士課程修了。同年4月NTTコミュニケーション科学基礎研究所(CS研)研究員。2016年東京大学講師(原田牛久研究室)。2018年10月オムロン サイニックエックスプリンシパルインベスティゲーター就任、現在に至る。東北大学特任教授、合同会社ナインブルズ代表、株式会社NexaScience代表取締役も務める。

大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌
BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長

Text:Tomoko Miyahara
Photo:Takuya Sakawaki
Edit : Tomoko Hatano