「デジタルマーケティング」と言えばデータ分析やSEOが連想されますが、それらはあくまでもツールや手段に過ぎません。本質的な目的は売上をつくること。マーケティングという呼び名の先入観を取り払ってみると、思いがけない側面からビジネスの成功につながる道筋が見えてきます。
今回お話を伺ったのは、マーケティングのコンサルティング業務から実行支援・人材支援、ソフトウェア・開発までを行う株式会社WACUL(ワカル)の代表取締役 垣内 勇威氏です。ビジネスに貢献するマーケティングのあるべき役割や立ち回りについてお聞きしました。
マーケターは、手段に振り回されない商売人たれ
大橋:垣内さんとのご縁はデジタルマーケティング研究機構での出会いでしたが、書籍で提言されていた「マーケターは商売人でなければならない、自己満足のクリエーションではいけない」というお言葉がとても胸に刺さりました。どんなご経験からこういったアイディアにたどり着かれたんですか?
垣内:私自身、若い頃はLPのABテストを山のようにやっていたんですが、今となってはもはや意味がないことだと思っています。そもそも、ビジネス全体においてデジタルマーケティングが影響する範囲は、とても小さい。万能ですごい手段であると期待している人がいますが、デジタルマーケティングが売上に貢献できるケースの方がレアですよ。

株式会社WACUL 代表取締役 垣内勇威氏
大橋:確かに、デジタルマーケティングという手段がどんなに優れていても、使いこなせなければ意味をなさなくなりますね。大企業でマーケティング部隊と聞くと、まっさきに浮かぶのはデジタルマーケティングの施策や展示会運営などですが、垣内さんとしてはどんな役割が重要だとお考えですか?
垣内:BtoBの大企業でマーケティングと言ったら、社内調整に尽きるでしょうね。MAツールの導入ひとつをとっても、理想的なイメージと実態はえてしてかけ離れているものですから、そのギャップを理解したうえで必要性やメリット伝える。そんな社内調整に奔走することこそ、マーケティングの役割です。
大橋:具体的な手段以前に、マーケティングの必要性を理解してもらう、考え方を変えるという、社内に向けた働きかけが必要なケースは非常に多いのは確かです。地固めとして人を動かさなければいけない時、どんなやり方があるのでしょうか。
垣内:王道はトップダウンです。営業側に顔が利く役員がいれば、そこから落とし込んでいくのが最も効率的ですから。それが無理ならボトムアップで、基本は営業と仲良くなるしかありませんね。
ゴール思考を持って営業を動かせ
大橋:以前、あるお客様から「営業とマーケの間には壁もできないくらいの距離があり、ぶつかることさえなかった」というお声を聞きました。これもある種のセクショナリズムというか、サイロ化の弊害を示唆していますよね。一方で、マーケはデータ分析の専門家だからと殻に閉じこもりやすいのも事実で、こうした意識の壁を超える原理原則とはなんだと思われますか?

マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌 大橋慶太
垣内:結局はゴール思考じゃないでしょうか。マーケがどんなにPV数やリード数、MQLを注視したところで、営業は「そんな数字より、確度の高い案件を1件でも渡してくれ」と言いたいはずです。デジタルマーケティングのゴールが売上創出なら、営業担当を商談に行かせて成約してもらわないといけない。目の前のデータ分析より、どうすれば営業が営業に行きたくなるかを考える方がはるかに大切です。
大橋:なるほど。その起点がマーケティング担当の商売人マインドだとしたら、どうやってそれを根づかせたらいいんでしょう?
垣内:商売人マインドがある人を登用する、あるいは、トップがKPI設計を変えるしかないですね。極端に言うと「展示会の業務は、明日から一切評価しません」と明言するとか。これは、トップダウンでしかできない変革です。ただ、人を変えるのは難しいので、やる気がある人材を社内の他部署から連れてくるのも一つの方策です。
今、必要なのは営業か?マーケティングか?
大橋:探索領域で新規事業開発を始める場合、実際のアクション以前にマーケティングの意義を社内に浸透させないといけないという課題については、どう考えますか?
垣内:そうした相談はなくはないのですが……、むしろ、マーケティングが必要ないのにやろうとしてしまうケースが多いと感じますね。たとえば、市場を占める重要な3社があって、3社のキーパーソン3人だけ押さえればよいという規制産業の場合、マーケなんていりません。マーケが必要になるのはそれ以外を狙いたい場合、あるいは重要3社の各社に100人以上担当者がいて、全員にアプローチしないといけない状況になった時です。
垣内:たとえ新規事業のフェーズだったとしても、マーケティングはいりません。誰に何を売るか決まっていない時に必要なのは、「営業」です。つくっては売り、芽が出なければ撤退し、見込みがあったらリリースを出して、3件問い合わせがきたら営業に行って……、を繰り返す。デマンドジェネレーション以前に、営業のPDCAサイクルを回すしかない。
大橋:部署や組織が整備されていないがゆえに、研究開発がマーケティングも営業もせざるを得ないこともあります。
垣内: そもそも、売るものが決まっていないのに「マーケティングだけやってほしい」と言われたとしても、私たちは請け負いません。「いまはそのフェーズではありません」と言ってきっぱりと断りますね。大橋さんのおっしゃったケースで言うと、当事者が自ら営業するのは、ある意味で正攻法だと思いますよ。やり方がわからなくて困った時にこそ、専門家がサポートするのがあるべき姿です。
営業→マーケティングの発想から見えるヒント
大橋:最近、「ビジネスをつくること」は「ビジネスをできる人をつくること」と同義で、つまり経営者をつくることに似ていると思ったんです。だとすると、ビジネス開発を目指す探索領域でのマーケティングは、SEOやAI活用といったレベルの話ではなく、もっと広義のマーケティングであるべきです。しかも、本業の名前が効かない領域を狙うとなれば、マーケティングが担う範囲はより広くなりますが、どこまでをカバーすべきだと思いますか?
垣内:マーケティングだと考えようとするから拒否反応が出るのであって、営業だと思えばいいんですよ。営業経験者に「新規営業だ」と言えば、すぐに行動できるでしょう。見込み顧客が増えてきたら、その時にマーケティングを始めたって遅くない。最初はシンプルに“営業に営業してもらう”でいいと思います。
大橋:なるほど。新規事業の初期段階に必要なのは、マーケティングじゃなくて営業だ、と。
垣内:そもそも、日本では何でもやることを「営業」と呼ぶじゃないですか。見込み顧客を探し、他社製品を販売することさえも営業に含めます。だからこそ、営業部長がマーケティング部長になると、わりとスムーズに理解してできるようになるんですよね。最初はカタカナ用語に戸惑っても、いずれ「これって営業と同じじゃん」と気づくはずです。
人の心をつかむことこそ、ゴールへの近道
大橋:コミュニケーションスキルの高い理系は最強だと言われるのに似て、トップ営業はトップマーケターになれそうなのに、逆はなぜか難しい気がするんですよね。
垣内:マーケティングは、営業という兵隊をうまく動かす仕事でもあって、当然ながら営業の仕事や心情を理解していなければいけません。飴と鞭を使いこなす必要もあるので、結局は営業からキャリアをつくるしかないのではないでしょうか。
大橋:営業には人たらしの特性も求められますよね。マーケターがいくらデータ的に正しくECサイトをつくっても、それだけで社内は動かせない。むしろ、コミュニケーションスキルが異様に高い営業経験者が、マーケティングのロジックで考える思考力を身につける方がうまくいくのかもしれません。
垣内:思考の順番で言えばそれが合理的ですよね。それから、「ゴール設定」と「顧客理解」の重要性は意外と見落とされがちです。目標を数字で定量化する、顧客目線で考える、現状のプロダクトに縛られず営業してみる。こうした行動のほうが、頭でっかちに考えるよりよほど重要なのに……。
大橋:あくまでも、「商いを成功させるにはどうすべきか」という思考を起点に考えるべきだ、と。
垣内:そうです。かつてデジタルマーケティングは、効果が読みづらいマス広告の非合理性を証明する対抗馬でしたが、デジタルマーケティングだけがマーケティングの価値ではないし、誰しもに必要なものでもない。新規事業なら、小難しく考えるよりもまずは知り合いに売りに行ってみるほうが、よっぽど商売につながるはずですよ。
定石を知り、やってはいけないことを理解する
大橋:『デジタルマーケティングの定石』など、垣内さんの著書タイトルにある「定石」というワードが興味深く、印象的に感じられました。探索領域での挑戦には、未経験や不得手の分野が数多くあるわけで、そのビハインドを埋めるには「定石」という原理原則を理解するのが鉄則。そのうえで事業開発に取り組むのが、本来あるべきマーケティングなのだと感じました。
垣内:僕が言いたいのは、「定石=“絶対にやってはいけないこと”を理解するためのもの」ということですね。すべてを理解することは不可能でも、大失敗を回避するためのヒントは見つけられるはずです。
大橋:成功したいならば失敗しないのが正解ですし、それを論理体系化しているのがマーケティングだったりもするので、その意味を理解してビジネスに生かすのが理想的ですね。
垣内:一方で、新規事業開発というのはそもそも非常識な挑戦です。市場に存在していないものを無理やり売り出すから、新規事業なわけで。
垣内:大企業の新規事業開発で言えば、「既存の顧客に非常識な商品を売る」か「既存の商品を非常識な顧客に売る」の2択です。一方で絶対にやってはいけないのが「非常識な商品を非常識な顧客に売る」ですね。それはスタートアップのやり方ですね。
大橋:定石外をやらない判断力と、それを踏まえて社内を動かす人間関係・スキルが揃って初めて、大企業の新規事業開発に成功が見えてくると言えそうですね。
社内調整は人と仕事を束ね、主役になれる仕事
大橋:こうやってお聞きすると、マーケターにとってやっぱり肝になるのは社内調整だなと改めて感じます。
垣内:目先だけ見ると、リスティング広告に反応した10件の新規リードに営業をかける方が簡単そうに見えるんです。でも、半年経っても1件も受注できていなかったりするケースが少なくない。実際には、頭を下げて社内調整した既存顧客1件の確度の方が高いことがありますから。
大橋:確かに、新規事業営業のために既存顧客のリストをもらったら、「この会社は調整が難しいので」とか言って上位100社のうち80社がはずされていた……、というような話をよく聞きます。でも誰がどう考えたって、その80社の方が重要なんですよ。そこでしっかり社内調整をやりきることが、新規事業を成功させるマーケティング担当者の重要なミッションだと思いました。
垣内:「社内調整こそがあなたの仕事の一丁目一番地なんだよ」という話なんです。むしろ海外では、CMOが社内調整役だと認識されているんですけどね、日本では意外とそう見られていない。でも、島耕作も半沢直樹も、社内調整の鬼じゃないですか。私は社内調整こそがビジネスの主役になれる仕事だと思っています。
人をつなぎ、道を拓き、ビジネスを先導するマーケティング
大橋:売上をつくるのが営業の役割なら、営業がやるべきことをできるよう社内調整に奔走するのが、マーケティングが売上に貢献する最も直接的なやり方ですね。
垣内:社内調整がいらない会社は規模が小さいので、社会へのインパクトも大きくありません。逆に、大企業は社会へのインパクトが大きい分だけ、社内調整も大変です。なので「あなたの仕事は社内調整、プロジェクト管理です」という認識と、それが“尊い”と思える企業文化を根づかせないといけません。
大橋:顧客の行動変容にまでコミットするのがマーケティングの本質なら、社内を動かすことも、まぎれもなく重要ミッションです。
垣内:まさしくそう思います。ちなみに、それでも社内調整がうまくできないのなら、うまくできる人に託せばいいんです。仕事には得意不得意が明確にありますから、社内調整のような立ち回りが好きで得意な人も必ずいるはずです。
大橋:腑に落ちるお話をたくさんお伺いできました。最後に、改めて「マーケティング」とは?
垣内:マーケティングは、「営業と何かをつなぐ仕事」です。営業と案件をつなぐ、営業と異なる事業部の顧客をつなぐ。社内をつなぎ、新しい道を拓きながら先導する船長のような仕事。そんな自負のもと、本質を考え、アクションしてくべきだと思いますね。
対談のまとめ
本対談は、マーケティング部門の役割を(いわゆる一般的な)「マーケティング」という領域に狭めるのではなく、ビジネス全体を俯瞰し、売り上げや利益に対してどんな貢献ができるのかを考え行動する役割だという見方に立ったお話です。マーケターは商売人でなければならない、自己満足のクリエーションではいけない ― ビジネスの成功を担う商売人の自覚を持って、人と組織を動かすことがマーケティングの大きな役割だというお話は、垣内氏ご自身が多く経験をされていることもあり非常に腹落ちするものでした。
”どう市場に向き合い適応して行くのか”という外向きのマーケティングと同等かそれ以上に、組織や人を動かす社内向けのインナーマーケティングの重要性に関して、私も常々大企業のお客様にお伝えしてまいりましたが、「社内調整を行うことこそマーケティングの役割だ。プライドを持って、胸をはっていこう!」という垣内氏の断言は目から鱗でした。
ビジネス全体を自分ごととして捉え、商売人としてやるべきことをやる。当たり前のようで大企業では実行が難しいことの重要性を再認識した対談でした。(大橋)
プロフィール
垣内 勇威
株式会社WACUL 代表取締役
東京大学卒。株式会社ビービットから、2013年に株式会社WACUL入社。改善施策の提案から施策効果の検証までデジタルマーケティングのPDCAをサポートする自動分析・改善提案ツール「AIアナリスト」を立ち上げ。2019年に産学連携型の研究所「WACUL Technology & Marketing Lab.」を創設し、所長に就任。現在、 研究所所長および代表取締役として、事業のコアであるナレッジ創出を牽引。新規事業や新機能の企画・開発および大企業とのPoCなど長期目線での事業推進の責任者を務める。2022年5月、代表取締役に就任。
大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌
BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長
Text:Aki Kuroda
Photo:Nanako Ono
Edit:Tomoko Hatano