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【対談】村田製作所:安定した大企業が、新規事業探索への挑戦を決して諦めない理由

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新しいビジネスの種を見つけ、それを事業化して成功させる。正解が存在しない新規事業の分野で、このような取り組みを行うことには大変な難しさがあります。

これが大企業での取り組みとなれば、安定した現状に対するぬるま湯意識を捨て去り、敢えて探索領域へと踏み出していくという点において、さらなる従業員の意識の持ち様が問われることになるでしょう。言うまでもなくそこには、挑戦する個人だけではなく、会社組織からの支援が必要不可欠となるはずです。

今回は、長きにわたり積層セラミックコンデンサの業界トップとして高い利益率を維持してきた日本屈指の優良企業、株式会社村田製作所の執行役員で技術・事業開発本部 事業インキュベーションセンター センター長の安藤正道氏にご登場いただき、研究開発に関わるこれまでのキャリアと、会社における新規事業創出の取り組みについて詳しく伺いました。

世界初となる多重モード誘電体共振器を使用した携帯電話の基地局用フィルターの実用化

大橋:安藤さんには、弊社が開催する「BtoBマーケティングフォーラム」へもご登壇いただき、そのパワフルなご活躍ぶりにはいつも感服させられております。改めて村田製作所に入社されてからのご経歴を教えてください。

安藤:バブル期真っ只中の1988年に村田製作所へ入社しました。正直、当時の私は村田製作所のことをあまりよく知らなかったのですが、友人からの勧めもありそれじゃあ入ってみようかと。この決断が今となってはとてもラッキーだったわけです。

当時は携帯電話がまだ普及しておらず、各メーカーがこぞって技術開発をしていた時代でした。そんな中、私は高周波デバイスの開発部門に配属され、世界で初めての技術である多重モード誘電体共振器を使って携帯電話の基地局用マイクロ波フィルターの開発に成功し、この事業化を行いました。

株式会社村田製作所 執行役員 技術・事業開発本部 事業インキュベーションセンター長 安藤 正道 氏

大橋:当時、まだ誰も実現したことのなかった多重モード誘電体共振器を使用したマイクロ波フィルターの開発を、たった1人でチャレンジされたのですか。

安藤:そうなんです。どうやら先輩たちも「そんなものできるわけない」と避けて通ってきた道だったようで(苦笑)。でもそれなら俺がやってやろうと、入社二年目の私はむしろ発奮したんです。結果的に約一年間で、社内では机上の空論と言われていたこの技術を具現化し最初の試作品を作ることに成功しました。

当時このフィルターは世界最小で、これが日本の大手電気通信事業者に採用されたことで、村田での基地局フィルター事業はどんどん大きくなっていきました。私はその後も開発現場のリーダーの立場で、新規開発、その試作品づくりや顧客折衝、工場の立ち上げなど、17年間に渡ってこの事業に関わることになりました。

大橋:自社の持っている技術を出発点に、新しいものを生み出す。それが安藤さんのキャリアにおける第1フェーズだったのですね。

安藤:そうですね。しかし、携帯電話が世界的に普及し始めると状況が徐々に変化しました。利用周波数が高周波化し扱う電波の波長が短くなると必然的にフィルターサイズが小さくなります。我々の製品は小型高性能が売りでしたが、大きさでのメリットが次第に失われ他社製品との差別化が難しくなりました。結果的にコスト競争に巻き込まれ、それになんとか持ちこたえようと新技術の開発を含め馬車馬のように働いた結果、身体をこわして2004年に出勤停止の扱いとなってしまったんです。

当時は、家に帰ると測定器もハンダゴテもない、それが私にはむしろ強烈にストレスで、「こんなふうに悩んでいるくらいなら会社へ行ってしまおう」と朝の3時に出社したり……。そんな変な様子を見ていた周囲からの連絡もあり、医務室に呼び出されて診察を受けたところドクターストップがかかったということです。精神的にも内科的にも結構ボロボロでした。その後半年の休職期間を経て、知的財産部へ異動することになりました。

大橋:仕事を休んでいる間はどんな心境だったのですか?

マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌 大橋 慶太

安藤:ちょうどアテネオリンピックが始まって、選手たちが活躍するのを見ながら、自分と彼らを対比してはどんどん落ち込んでいく日々でした。あんなにみんな頑張っているのに、俺ときたら全然輝いていない、と。

大橋:安藤さんらしいですね。ちなみに知的財産部には、どのくらい在籍されたのでしょうか?

安藤:3年ですね。先程のような働き方をしていたので「もう俺は一生分の仕事をしたな」という感覚もあり、知財では、どちらかというと健康を取り戻すために落ち着いた日々を過ごしていました。ただ、2005年はちょうど40歳になる節目の年でもあり、会社では同期が課長へ昇格していくタイミングと重なっていました。その様子を見ながら、「俺は本当にこのまま終わってしまっていいのだろうか」と感じるようになったのです。

すれ違う従業員への声掛けから始まった、新規事業への挑戦

安藤:ちょうどその頃、2006年に「未来の扉」と呼ばれる、新規事業を創出する仕組みが社内で始まりました。「未来の扉」は、役員から承認をもらえれば、起案者は異動した上で新規事業に取り組めるというものです。私はそのプロジェクトへ自ら応募することにしました。

大橋:ここから、安藤さんのキャリアの第2フェーズが始まるわけですね。

安藤:そうですね。「新しいテーマで自分の人生を取り戻しに行くぞ」という気持ちでした。私が持ち込んだテーマは、透明スピーカーの開発です。当時薄型化と大画面化が進んでいたテレビのスピーカーを無くして、画面をそのまま鳴らそうというアイデアでした。ただ、それを実現するアイデアは持っていなかったのですが、とにかく強烈な意気込みを応募用紙に書きました、その結果採用されたんです。こうして2007年5月から機能材料研究部という新しい部へ異動し、正式に活動をスタートさせました。

大橋:新規事業のテーマが採用されたあと、まず最初に何をされたのでしょうか?

安藤:村田製作所には、滋賀県に約4,000人が在籍する野洲事業所という大きな開発拠点があります。その廊下をぶらぶら歩いて、初対面の従業員を見つけては「ちょっとお時間いいですか?」と片っ端から声を掛けていきました。「どんな些細なことでもいいから、透明スピーカーに役立ちそうな技術があったら教えてくれ」と。村田製作所のいいところなのか、誰からも断られたことがなかったですね。

安藤:そんなある日、「大学で透明な樹脂が研究されていて、圧電体なので電圧を掛けたら動くらしいですよ」という情報を得たんです。それが圧電性ポリ乳酸でした。それをきっかけに、私の第二の研究人生が始まりました。仲間づくりに奔走した結果2008年には大手化学メーカーと有名大学、村田製作所の共同研究体制が始まり、2013年に大手総合電機メーカーに製品が採用されることになりました。

大橋:新規事業のテーマ採用から、約4年で製品化されたのですね。大手総合電機メーカーに採用されたのは、透明スピーカーだったのでしょうか?

安藤:いいえ。透明スピーカーはどのお客様に持って行っても非常に面白がられましたが音質が悪く、採用には至りませんでした。事業化したのは、透明スピーカーの開発過程で生まれたもので、タッチパネルの押し圧検知用のフィルムセンサーです。「ピコリーフ」という商品名で事業化しました。曲げとねじりを独立して検知できるところや、圧電体の欠点である温度にも反応してしまうということがない、透明度が極めて高く生分解性を有するという優れた特徴があり、他のセンサーとは一線を画しています。現在の売上は数億円規模ですが、順調に伸びています。

大橋:新しい材料を見つけて、それが事業化できたということですね。

安藤:はい。さらにそこから発展して、糸型のセンサーを製作しました。圧電フィルムを切って細い糸状にし、芯電極の周りに巻回し、さらにその外部をシールド電極で被覆して糸型のセンサーとしたもので、服や靴に縫い込むことができます。アパレルメーカーやスポーツメーカーでの受けは非常に良かったのですが採用とはなりませんでした。ある靴下メーカーに訪問した時に製品に繁殖するばい菌に悩んでいることを知り、電極を無くして圧電性の糸そのもので生地を作った場合、伸縮により発生する電場で殺菌できるのではないかと考えて実験したところ極めて強い抗菌性があることがわかったんです。そして、大手紡績メーカーとジョイントベンチャーを立ち上げ、電気抗菌特性を有する繊維「ピエクレックス」が生まれました。社名もピエクレックスです。前述の靴下メーカーには「アパレルの大革命だ」なんて喜ばれましたが、私自身、まさか透明スピーカーを実現するために研究した素材がアパレル業界で電気抗菌繊維として使われることになるとは全く予想していませんでしたね。

大橋:結局、透明スピーカーは製品化されなかったのでしょうか。

安藤:売り物にはなりませんでしたね。横浜みなとみらい地区の弊社イノベーションセンターの来客ホールに、葉っぱから音が出る観葉植物型のスピーカーとして今でも置いてあります。これが研究の成れの果てです(苦笑)。でも、来社されるお客さんからは「ぜひ売ってくれないか」と言われることもあり、評判はいいんですけどね。

η(イータ)プロジェクトが大切にする「具現化力」と、欠けたピースを埋められる人材

大橋:ここまで安藤さんの新規事業や研究開発について詳しくお伺いしましたが、2006年「未来の扉」プロジェクトが始まったあとから現在に至るまで、村田製作所が新規事業を創出のためにどのような取り組みをされてきたのか、教えてください。

安藤:私が応募した2006年の「未来の扉」以降、同期社員が協力して起案することを想定した「世代別商品企画」、組織から指名された社員が参画できる「MIRAI活動(Murata Innovative Research Activity Initiatives)」が行われました。しかしいくつかアイデアは出るものの、あいにく採用までに至るものはありませんでした。そして現在はこの3つが統合されて、「創発活動」という取り組みを行っています。立候補もしくは上長からの推薦で参加することができ、活動には外部コンサルタントが伴走して新規事業のテーマを見つける活動です。制度を作ってから今年で10年になります。

大橋:安藤さんが主体で取り組まれている新規事業創出活動「イータプロジェクト」との違いは何でしょうか?

安藤:「創発活動」は、あくまでも通常業務と掛け持ちです。自分の仕事をやりながら取り組まねばならず、そのため新規事業への熱量が低くなる場合があるように感じていました。そこで当時部門長だった私は、「イータプロジェクト」という別の新規事業創出案を会社へ提案したんです。

イータプロジェクトは、掛け持ちではなく新規事業の専任として関わること、テーマづくりに3年を費やすところが特徴です。達成可能なテーマを設定するのではなく、自分の会社人生をかけて挑むようなものを作りたかったのです。部門長ワークショップで2019年に制度作りの議論を始めて、2021年からプロジェクトはスタートしました。

大橋:新規事業の専任となること、テーマづくりに3年を費やすところが大きく違う点なのですね。安藤さんの強い想いが込められた「イータプロジェクト」ですが、このプロジェクトを通して参加者に一番伝えたい思いは何だったのでしょうか?

安藤:大切にしてきたのは、「具現化力」です。新規事業に必要なのは、きれいなパワーポイントではありません。どれだけパワーポイントが不出来だったとしても、相手に可能性を感じさせられる実物があればいい。なぜなら、私たちはものづくりの会社で事業をしているんですから。

最初のアイデアは言葉で見つかったとしても、その先へたどり着くためには手を動かさなければならない。私自身も、開発の源にはまずはモノがあった。多重モード誘電体共振器の時もそうですし、次のチャレンジでもスピーカーがセンサーになり、最終的には糸になった。何事も一人の志から始まって、その志に仲間が集まって大きくなるのです。そういったことを「イータプロジェクト」では伝えてきました。

大橋:どんな製品開発も、最初の一コマ目は、自力でつくるところから始まっていくと。今年「イータプロジェクト」で最初のテーマづくり3年を終えたと伺いましたが、一区切りを終えた今のお気持ちはいかがでしょうか?

安藤:道半ば、と言ったところです。この3年で試行錯誤を繰り返したテーマづくりをしてほしかったのですが、そこまでは至りませんでした。それでも参加者の中に、生産技術部門へ異動してものづくりの基礎を一から学び直すことを決めた社員が出たことは、嬉しかったですね。想いが伝わったように感じました。

大橋:「イータプロジェクト」は、新規事業に必要な能力をすべて兼ね備えた人材を育てることが目的なのでしょうか?

安藤:技術開発ができて、人の心を掴めて、お金を持ってこられる。そんなふうに一人で何でもできるスーパーマンのような人材がいれば良いですが、現実には存在しません。でも、どれか一つの能力を持っている人であれば見つけられます。足りないピースは他の人を連れてきてでも補う。こういった発想を持てるメンバーを輩出したいと考えています。

「健全な危機感を持てているか?」 安定した企業だからこそ文化の発展に貢献する義務がある

大橋:村田製作所の経営状況は、非常に安定していらっしゃいます。一般的なベンチャー企業と違い、新規事業への切迫感は一般的には希薄になるのではと思いますが、「なぜ新規事業に取り組むのか」という意義や必要性について、社内ではどのように伝えられていますか?

安藤:「健全な危機感を全員が持っているか?」私たちはずっと昔から、それを問われてきました。毎日唱和する社是には「技術を錬磨し 科学的管理を実践し 独自の製品を供給して 文化の発展に貢献し」という言葉があるのですが、文化の発展に貢献するために、私たちは常に新しいチャレンジを続け、新製品や新規事業を供給し続けなければならない。それができないのであれば社是の精神に反する、と私は考えています。創業者の時代から現在の社長まで、新規事業に大きな比重を置かれているのが、村田製作所の特色だと思います。

大橋:なるほど。先ほど「イータプロジェクト」について志半ばというお言葉もありましたが、今後の新規事業の創出活動について、ビジョンや思いがあればお聞かせください。

安藤:もっとピボットを踏む経験をしてもらいたいですね。私の透明スピーカーが洋服になったように、方向転換することを恐れないでほしい。村田製作所で成長してきた事業の中には、当初はまったく想定していなかった新しい分野を見つけたことで拡大しているものも沢山あります。途中で諦めない、行き詰まったらよく周りを見渡す、自分で探してみる。私ができるのは、社員に機会を与えることだけです。チャンスを掴むことは、本人たちにしかできない。残り少ない会社人生で1つでも良いテーマを見つける手伝いができたらと思っています。

大橋:最後になりますが、安藤さんが一開発者としてこれから取り組んでみたいテーマを教えてください。

安藤:長らく有機圧電フィルムセンサーに関わる中で、ノイズに悩まされる事例をいくつも見てきました。最近は人間のからだの神経構造を応用することで、ノイズに悩まされない電気的なセンサーに応用できないか? と考えています。人の身体って、痛い、気持ちいい、熱い、冷たい、すべてのセンサーを兼ね備えた全身タッチパネルなんですよ。ノイズって感じられないですよね。面白いでしょう?

大橋:まだまだ新規事業開発への興味関心が、まったく枯渇していらっしゃらないのですね。安藤さんの今後を、引き続き楽しみに応援させていただきたいと思います。本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

対談まとめ

今回の対談を通して印象的だったのは、「具現化力」という言葉です。新規事業に必要なのは、綺麗なパワーポイントではなく、相手に可能性を感じさせられる実物だという言葉です。Appleのスティーブ・ジョブスもBusinessWeek誌上で「多くの場合人々はそれを見せるまで、自分が何を欲しいかわからない」という事を言っています。イメージではなく、不細工でも良いのでモックのような「モノ」を作ることこそが、事業や製品に可能性を感じてもらい、共感、協力を得るためには必要で、たとえモックでも「モノ」を作るためには自分自身で取り組むことが重要だと繰り返しおっしゃられていたのが印象的です。また、当初と全く違う製品であっても、製品化事業化を諦めないことが重要だという言葉には安藤氏自身がそれを体現しているだけに重い意味を持ちます。

新規事業というと、斬新なアイデアや、壮大なプレゼンテーションで資金を集めることの重要性が強調されがちですが、製品も事業も「具現化」し、あきらめずに継続的に「本気」で取り組むことの重要性を再認識する機会となりました。

プロフィール

安藤正道 ph.D
株式会社村田製作所 執行役員 技術・事業開発本部 事業インキュベーションセンター センター長
1988年株式会社村田製作所に入社。1990年TM二重モード誘電体共振器を使用した世界最小の携帯電話基地局向けマイクロ波フィルタの開発に単独で成功しこれを事業化、2004年までに22機種を開発。2007年会社の「未来のとびら」制度に応募した新規テーマが採用され、2012年圧電性ポリ乳酸(PLLA)フィルムを使用したセンサの商業化に成功。
2016年PLLA繊維の電気抗菌効果を発見、2020年株式会社ピエクレックスを設立し取締役CTOに就任。2021年から現職。

大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌
BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長

Text:Kazuna Kino
Photo:Takumi Hatano
Edit:Tomoko Hatano